海の恵みを食卓へ美味しさづくりに想いを込めて
海の恵みを食卓へ、美味しさづくりに想いを込めて
気仙沼と働く vol.8 食の安全性とは
先日、このコラムについての企画会議がありました。コラムも今回で8回目。コラムを書き始めて数回は、自由なテーマで書かせていただいたのですが、今回はコラムの振り返りからでたテーマを扱いたいと思います。

先日、八葉水産のメンバーとコラムについてあらためて振り返る機会がありました。会議の中で話題になったことは、日常のふとしたシーンで感じた「食の安全性」。

食の安全と言っても、大変に広義なものです。例えば、原料の産地がどこなのか、食品アレルギーへの配慮はあるか、パッケージは安全か、子供が誤飲しないか、衛生管理はしっかり行われているかなど、人によって重視したい安全性は違ってきます。

今回は食の安全性のうち、私なりに提議してみたい3点に焦点を当てて綴ってみたいと思います。
気仙沼と働く vol.8 食の安全性とは

直感でとらえる安全性 〜五感に訴えるもの〜

私たちは、目の前の出来事が安全かどうか、常に本能的に判断しています。

食品に対しては、見た目や匂いが美味しそうだという直感が働く一方で、何だか変な匂いがしている、本来の色や形をしていない、異物が付着しているといったことも五感で即座に判断しています。この食べ物は大丈夫そうだと思って口にしたところ、思わず吐き出してしまうことがあります。
人間の体にはいくつかの関門があって、目と鼻のセンサーはクリアしても、本当に安全かどうかは、次に味覚が判断してくれるのです。 小さな子供たちは苦味のある食品が苦手ですが、これは苦味のあるものは体に悪いと体が判断しているからだと言われています。
歳を重ねるにつれて、苦味は食味の一つとして認識され、徐々に摂取しないと物足りなくなるような気がしてくるもの。コーヒーやビール、苦味のある山菜・・・こういった食品が大人になると美味しく感じるのは、もはや本能ではなく慣れか思い込み、かもしれませんね。

数字で認識する安全性 〜賞味期限〜

みなさんは何らかの食品を買う時、パッケージの食品表示をチェックしていますか。

製造者は消費者が安全に食品を食べることができるように、いくつかの事柄を表示しなければなりません。 そのうちの一つが賞味期限です。
賞味期限とは、その商品をある一定の安全性で保つことができる期間を示します。メーカーが自社で賞味期限を設定することもあれば、検査機関で設定する場合もあります。 (お弁当や生菓子など、特に短い賞味期限は「消費期限」と書かれている場合もあります)

賞味期限は、科学的な根拠をもとに設定された期限ですが、期限というデッドラインを過ぎてしまったら、本当に食べられないのでしょうか。
例として考えてみたいのは「卵」です。賞味期限の表示の近くをよく見てみると「生食できる期間」と書いてある場合があります。これは表示された日付を過ぎても加熱すれば食すことができる場合があります。
私たちは賞味期限という情報を頼りにしていますが、実は数値情報だけで判断がつかないこともあるのです。

話がそれますが、私が以前デパートの食品売り場でお弁当を販売していた際、閉店の時刻が迫ると割引して何とかお弁当を売り切ろうとしていました。
大きな声で呼び込みをしても売りきれなかったお弁当は、デパートの閉店の時刻とともに廃棄品となることがありました。閉店の1分前まで数百円だったお弁当が、規定時刻とともに値段のつかないものになる。食べ物の期限とは何なのだろうと考えされられる経験となりました。
気仙沼と働く vol.8 食の安全性とは

価値観で変わる安全性 〜衛生管理〜

私が訪れた八葉水産の工場は、いつもピカピカでした。朝から従業員全員で丁寧に掃除をすることから1日が始まります。

水産加工品は、原料の鮮度や品質が命です。素材の風味を生かすため、加熱せずに加工する商品もあります。加熱には調理方法という側面だけでなく、殺菌処理という機能も含まれていますが、非加熱食品の多い現場で、どのように菌が繁殖しないようにしているのでしょうか。それは徹底的な現場の衛生管理に尽きます。ほとんど皮膚を出さない工場服を着用し、適切な薬品処理、完璧な清掃など清潔に保つ工夫が工場内はもとより、社屋中で行われています。

一方で、お寿司屋さんを想像してみましょう。綺麗に磨かれたカウンターとネタの入ったショーケース。大将は清潔な雰囲気で包丁を扱っています。職人技と言える包丁さばきやシャリを握る様子からは、本格的な寿司がいただけるだろうという期待を抱かせます。

一方で、食品製造業に携わる者としては違和感を感じる場面もあります。例えば手袋ははめていないこと。製造業では、とにかく雑菌を繁殖させないために手袋を外すことはありません。しかし飲食業ではお客様がすぐに食することが前提のため、衛生管理の基準が違ってきます。

飲食の現場には、「肌感覚」や「絶妙なタイミング」というものがあります。シャリの握り加減は、素手でないと美味しさや職人の意図が表現されません。また味付けにおいても「はかり」では測れない、感覚的な分量があります。例えば少々の塩といえば、経験値や勘に任せているとしか言いようがないのです。もし、毎回微量の塩を計量していたら、その感性は発揮されないかもしれません。
気仙沼と働く vol.8 食の安全性とは
製造業は、比較的賞味期限の長いものを商品として、均一で安定した品質の商品を届けることを是としています。
飲食業は、チェーン店を除いて、作り手の感性を最大限に発揮して料理を作り、お客様が最も喜ぶ食の体験の提供に注力します。

どちらが良くてどちらが悪いという判断はできません。提供したい価値観や良しとする食の基準が違うために、食の安全策である衛生管理が違ってきます。
両者に共通することがあるとすれば、「お客様に喜んでいただくために尽力している」ということでしょう。

コロナ禍が教えてくれた安全性

食品業界からズームアウトして、私たち一人一人の暮らしについて少しみてみましょう。

まずコロナ禍を通してわかったことがあります。

「1番大切なものは命。2番目に大切なものは、人によって違う」 

これは、とある脚本家が話されていたことです。この2年くらいの間に、自分にとってごく身近な人であっても、大切なものの基準が違うことに直面した方は多いのではないでしょうか。

組織の中にいる時は、組織の基準に従う必要がありますが、ひとりの人間として生きることにおいては、みなそれぞれの価値観があるはずです。自分の価値観に相手を無理に引き込むことは、愛に欠けた行動と言わざるを得ませんし、本来はみな自分らしさが発揮できるあり方が自然な形であると言えます。

直感、情報、規則、と食の安全の中にさまざまな観点があり、安全基準も多様であることが見えてきたかと思います。食の安全性とは、一人ひとりの基準やゴールを目指すルートは違っても、たどり着きたいゴールは「心地よく幸せな食生活」なのではないでしょうか。
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